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名古屋地方裁判所岡崎支部 平成8年(ワ)591号 判決

甲事件、乙事件、丙事件原告

亡甲野太郎相続財産限定承認者、被相続人亡甲野花子相続財産管理人、弁護士

中根常彦(以下「原告財産管理人」という)

甲事件、乙事件、丙事件原告

亡甲野太郎相続財産限定承認者(管理人)

甲野次郎(以下「原告甲野」という)

甲事件、乙事件、丙事件原告

亡甲野太郎相続財産限定承認者甲田春子(以下「原告甲田」という)

右原告甲野及び同甲田訴訟代理人弁護士

中根常彦

甲事件、乙事件原告甲野次郎及び同甲田春子訴訟代理人中根常彦訴訟復代理人・丙事件原告甲野次郎及び同甲田春子訴訟代理人弁護士

岡山千絵(以下、原告財産管理人、原告甲野、原告甲田三名を総称して「原告ら」という)

甲事件被告

大東京火災海上保険株式会社

(以下「被告大東京火災海上」という)

右代表者代表取締役

瀨下明

右訴訟代理人弁護士

江口保夫

江口美葆子

豊吉彬

山岡宏敏

右江口保夫訴訟復代理人弁護士

中村威彦

乙事件被告

乙川夏子

乙山秋子

乙川冬子

右三名訴訟代理人弁護士

西川正志

丙事件被告

東京海上火災保険株式会社

(以下「被告東京海上火災」という)

右代表者代表取締役

丸茂晴男

右訴訟代理人弁護士

後藤和男

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は全事件を通じて原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  甲事件

被告大東京火災海上は、原告財産管理人に対し、二一二五万円、原告甲野及び同甲田に対し、各一〇六二万五〇〇〇円並びにこれらに対する平成八年四月一八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  乙事件

被告乙川夏子は、別表一記載の原告に対し、それぞれ同表記載の各金額、被告乙山秋子は、別表二記載の原告に対し、それぞれ同表記載の各金額、被告乙川冬子は、別表三記載の原告に対し、それぞれ同表記載の各金額及びこれらに対する平成七年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  丙事件

被告東京海上火災は、原告財産管理人に対し、一一九〇万三〇〇〇円、原告甲野に対し五九五万一五〇〇円、原告甲田に対し五九五万一五〇〇円及びこれらに対する平成一〇年六月一九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  当事者間に争いのない事実及び証拠により明らかに認められる事実(全事件)

1  甲野太郎(以下「訴外甲野」という)は、訴外乙川一郎(以下「訴外乙川」という)が運転するワゴン車の助手席に同乗して、国道一五六号線を南下していた平成七年九月一二日午前六時一五分ころ、岐阜県大野郡白川村内ヶ戸地内国道一五六号洞門入口道路で、右車両が進行方向右側にあった雪避けシェルターに衝突し、その結果、訴外乙川及び訴外甲野両名が死亡した(以下「本件事故」という。)

2  訴外甲野の相続人は、訴外甲野の妻である花子、子である原告甲野及び原告甲田であったが、花子、原告甲野及び原告甲田は、名古屋家庭裁判所岡崎支部に対し、右相続の限定承認の申立てをし、平成七年一〇月二三日、同申立てが受理され、同日花子が相続財産管理人に選任された。その後、平成九年一〇月一日、花子が死亡し、同人の相続人である原告甲野及び原告甲田はその相続の放棄をしたため、弁護士中根常彦が、花子の相続財産管理人に選任された。

3  訴外甲野は、被告大東京火災海上との間で、以下のとおりの積立ファミリー交通傷害保険契約を締結した。

(一) 契約締結日 平成二年九月二七日

契約期間 平成二年一一月二八日から五年間

証券番号 六七二四・六一九八六

被保険者死亡の場合の保険金額 一〇〇〇万円

受取人 被保険者の法定相続人

(二) 契約締結日 平成七年八月八日

契約期間 平成七年八月八日から五年間

証券番号 三三五五・三一一七六

被保険者死亡の場合の保険金額 一〇〇〇万円

受取人 被保険者の法定相続人

(三) 契約締結日 平成七年八月八日

契約期間 平成七年八月八日から五年間

証券番号 三三五五・三一一九二

被保険者死亡の場合の保険金額 一〇〇〇万円

受取人 被保険者の法定相続人

(四) 契約締結日 平成七年八月八日

契約期間 平成七年八月八日から五年間

証券番号 三三五五・三一一八九

被保険者死亡の場合の保険金額 一〇〇〇万円

受取人 被保険者の法定相続人

4  原告甲野は、被告大東京火災海上との間で、以下の内容の積立家族傷害を保険種目とする損害保険契約を締結した。

契約締結日 平成四年一〇月三一日

契約期間 平成四年一〇月三一日から五年間

証券番号 七七六二・二〇三五七

被保険者と同居の親族死亡の場合の保険金額 二五〇万円

受取人 被保険者の法定相続人

5  訴外甲野は、被告東京海上火災との間で、以下のとおりの損害保険契約を締結した。

(一) 契約締結日 平成三年三月二三日

証券番号F一一一七〇八一四二

被保険者死亡の場合の保険金額 六四〇万六〇〇〇円

受取人 約定に基づき法定相続人

(二) 契約締結日 平成五年九月二〇日

証券番号 五一三九二六八二八八

被保険者死亡の場合の保険金額 一七四〇万円

受取人 約定に基づき法定相続人

6  訴外乙川の相続人は、同人の妻である乙事件被告乙川夏子(以下「被告乙川夏子」という)、子である乙事件被告乙山秋子(以下「被告乙山秋子」という)及び乙事件被告乙川冬子(以下「被告乙川冬子」という)であるところ、その相続分は、被告乙川夏子が二分の一、被告乙山秋子及び被告乙川冬子がそれぞれ四分の一である。

7  訴外甲野は、他に以下の保険契約を締結しており、原告らは、各保険金を受領した。

(一) 日動火災海上保険株式会社五〇〇万円

(二) 日本生命保険相互会社 一億円

二  甲事件における原告らの主張

1  本件事故による訴外甲野の死亡により、原告らは被告大東京火災海上に対する保険金請求権を取得した。そこで、原告らは被告大東京火災海上に対して、平成八年三月一八日、保険金請求をした。

2  よって、原告財産管理人は二一二五万円、原告甲野及び原告甲田は各自一〇六二万五〇〇〇円とこれらに対する平成八年四月一八日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を被告大東京火災海上に対して求める。

三  丙事件における原告らの主張

1  本件事故による訴外甲野の死亡により、原告らは被告東京海上火災に対する保険金請求権を取得した。

2  よって、原告財産管理人は一一九〇万三〇〇〇円、原告甲野及び原告甲田は各自五九五万一五〇〇円とこれらに対する本訴状送達の日の翌日である平成一〇年六月一九日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を被告東京海上火災に対して求める。なお、被告東京海上火災は保険契約の失効を主張するが、仮にそうであったとしても、契約失効の場合の返戻金として前記一の5の(一)の契約について一〇〇万五一四〇円の、同5の(二)の契約について二一〇万〇二八〇円の支払義務がある。

3  また、被告東京海上火災は、訴外甲野の告知義務違反及び通知義務違反に基づく保険契約解除を主張する。しかしながら、告知義務違反あるいは通知義務違反があったからといって直ちに保険契約の解除を認めるのは相当ではなく、保険契約者が不法な保険金取得目的で契約を締結した場合等例外的な場合に制限すべきである。本件では保険契約締結について不審な点はなく、したがって、解除を認めるべき事案ではない。

4  さらに、被告東京海上火災は、原告らの保険金請求権が事故日である平成七年九月一二日から二年の経過によりすでに時効消滅したと主張する。しかしながら、原告らが主張する保険金請求権は、平成九年八月二二日、岐阜地方裁判所において被仮差押債権として差し押さえられている。この場合、仮差押決定が第三債務者に送達されることにより被差押債権として差し押さえられた権利は客観的に行使されたと同視しうる状態になるから、これについて時効中断効を認めるべきである。そうすると、原告ら主張する保険金請求権は、平成九年八月二二日に仮差押決定がなされ、かつ同決定が第三債務者である被告東京海上火災に送達された時点で時効中断していることになる。したがって、時効により消滅したとの被告東京海上火災の主張は失当である。

四  乙事件における原告らの主張

1  訴外甲野は、訴外乙川の過失により死亡したものであり、訴外乙川は自動車損害賠償保障法上の責任ないし民法七〇九条の責任を負う。

2  本件事故による損害は以下のとおりである。

(一) 葬儀費用 一二〇万円

(二) 逸失利益 四一八七万二五八九円

(三) 慰謝料 二七〇〇万円

右合計 七〇〇七万二五八九円

3  原告らは、自賠責保険から三〇〇三万七〇七〇円を受領した。

4  本件訴訟に関する弁護士費用として四〇〇万円が相当因果関係にある損害である。

5  よって、原告らは、いまだ支払を受けていない損害四〇〇三万五五一九円と弁護士費用四〇〇万円との合計四四〇三万五五一九円とこれに対する不法行為時である平成七年九月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五  甲事件における被告大東京火災海上の主張

1  本件において原告らは、本件事故が故意でないことを主張立証すべきであり、これがなされない場合は、被告大東京火災海上は保険金支払義務を負わない。

2  本件事故は、訴外乙川と訴外甲野との共謀による自殺であることが推認できるのであり、被告大東京火災海上には保険金支払義務はない。

六  丙事件における被告東京海上火災の主張

1  甲事件における被告大東京火災海上の主張を援用する。

2(一)  訴外甲野は、被告東京海上火災と保険契約を締結するに際して、既に他の保険会社との間で同種保険契約を締結している場合には、その事実を被告東京海上火災に対して告げるべき義務が、さらに被告東京海上火災と契約を締結した後、他の保険会社との間で重複して同種保険契約を締結した場合には、その事実を被告東京海上火災に通知すべき義務があり、訴外甲野がこれら義務に違反した場合、被告東京海上火災は、訴外甲野と被告東京海上火災とが締結した保険契約を解除できるものとされている。

(二)  訴外甲野は、被告東京海上火災と保険契約を締結するにあたり、既に大東京火災海上保険株式会社及び日動火災海上保険株式会社との間で同種の保険契約を締結していたにもかかわらず、これを被告東京海上火災に告知せず、また、その後においても大東京火災海上保険株式会社及び日動火災海上保険株式会社との間で同種の保険契約を締結したにもかかわらず、これを被告東京海上火災に通知しなかった。

(三)  このため、被告東京海上火災は、原告らに対して、平成一〇年三月一七日到着の書面により訴外甲野と被告東京海上火災との間の保険契約を解除する旨の意思表示をした。

3  訴外甲野と被告東京海上火災との間の保険契約に基づく保険金請求権は、事故日である平成七年九月一二日から二年の経過により時効消滅した。

七  乙事件における被告乙川夏子らの主張

1  損害額について争う。

2  訴外甲野は好意同乗者であるから、三〇パーセント以上の減額がなされるべきである。

3  原告らは、本件事故に関して自賠責保険から三〇〇三万七〇七〇円を受領しており、被告乙川夏子らは損益相殺を主張する。

4  本件事故は訴外乙川と訴外甲野との合意あるいは受認の上での自殺と推認される。そうだとすると、訴外甲野には危険、損害の受容があり、賠償対象たる保護法益がなく、あるいは権利放棄とみられ、さらには違法性が阻却される。したがって、原告らの損害賠償請求は認められないか、その権利行使は権利濫用になる。

5  仮にそうでないとしても、自殺あるいは自殺が推察される事情は、当事者間の公平分担を旨とする過失相殺の法理等により損害賠償額算定に斟酌されるべきである。

第三  主たる争点

一  本件事故が自殺である可能性はあるか(全事件)

二  告知義務違反、通知義務違反による契約解除の有効性(丙事件)

三  時効消滅の有無(丙事件)

四  請求減縮事由の有無(乙事件)

第四  争点に対する判断

一  本件事故について、証拠(甲四、乙一、乙二、乙三の一・二、乙四、乙五の一・二・三、乙三五、乙三八、乙四八、乙四九、乙五二)により認められる事実関係は以下のとおりである。

1  本件事故は、平成七年九月一二日午前六月一五分ころに発生した。

2  事故車(以下「本件事故車」という)は、日産キャラバン、排気量二九六〇cc、長さ4.79メートル、幅1.72メートル、高さ1.95メートル、定員七名、初度登録平成四年四月、使用者訴外乙川であり、訴外乙川が運転し、訴外甲野が助手席に同乗していた。本件事故は、本件事故車の単独事故である。

3  本件事故現場は、岐阜県大野郡白川村大字内ヶ戸地内の国道一五六号岐阜高岡線上で、新内ヶ戸トンネル南側出入口から南方二九〇メートル、飯島トンネル北側出入口から北方四三〇メートルの位置にある。本件事故現場付近の道路の幅員は6.2メートルで、片側一車線の道路であり、現場は、幅員三メートルの作業用林道との交差点である。もっとも、交差点といっても作業用林道は国道一五六号線と斜めに交差しているものである。現場付近の国道一五六号線は、コンクリート製防雪洞(スノーシェード)が断続的に設置されているが、本件現場は、それが途切れた場所である。

4  本件事故車は、スノーシェード入り口の進行方向右側コンクリート壁に、車両前部正面から衝突した。車両前部は助手席ドアを除いてフロントパネルを平面的に押し込んだような状態で均一につぶれ、最大一一〇センチメートル凹損している。訴外乙川は、ハンドルと座席及び車両前面に挟まれ、発見された際、頭頂骨が割れ、脳が路上に落ちていた。訴外甲野は、両足を車両前面に挟まれ、背もたれの倒れた状態の助手席の上で仰向けに寝た状態で死亡していた。頭部、顔面は三角形に変形していた。訴外乙川及び訴外甲野ともに即死であった。血中アルコール検査によれば、両名からはアルコール分は検出されていない。なお、両名がシートベルトを着装していたのかどうかについて不明である。

5  本件事故現場付近の国道一五六号線は、アスファルト舗装された平坦な道路であり、当時、路面は乾燥していた。現場には、スリップ痕、転がり痕等のタイヤ痕は認められなかった。

6  本件事故車は、少なくとも一〇〇キロメートル毎時の速度で壁面に衝突したものと推認される。

二  本件では、本件事故車について故障、欠陥等を窺わせる事実はなく、また、訴外乙川が飲酒運転をしていたことを窺わせる事実もない。したがって、本件事故の原因としては、居眠り運転、脇見運転、ハンドル操作の誤りあるいはそれ以外、すなわち自殺が考えられる。そこで、以下、これらの可能性について検討する。

1  本件事故車が、衝突時に一〇〇キロメートル毎時の速度であったことについて

国道一五六号線は最高制限速度五〇キロメートルの道路ではあるが、交通量は必ずしも多くはなく、舗装路面であることから高速走行は可能であり、また、現場付近の道路は直線であることからすれば、本件事故車が一〇〇キロメートル毎時の速度で走行していたことは必ずしも不自然なことではないと思われる(乙一、乙二、乙三の一・二、乙四、乙五の一・二・三)。

2  衝突場所及び衝突態様について

(一) 本件事故現場に至る国道一五六号線は、庄川に沿うように走っており、道路の川側にはガードレールが設置され、反対側は崖になっている。そして、カーブが連続し、トンネルやスノーシェードが断続的に設置されている。このような道路状況からすると、右道路を居眠り状態で連続的に高速度で走行することは極めて困難であると認められる(乙一、乙二、乙三の一・二、乙四、乙五の一・二・三)。

(二) また、本件事故車は、スノーシェード入り口の進行方向右側壁面に正面から衝突しているが、まず第一に、道路右側の壁面に衝突している点が問題である。すなわち、本来車両は左側通行であるから、本件事故車は、本来の車線から対向車線を横切って走行したことになる。あるいは、本件事故現場手前辺りから対向車線を走行し続けたという可能性も考えられるが、それ自体危険性の高いものであって、不自然である。第二に、本件事故車は、スノーシェード入り口の壁面に対してほぼ正面から衝突している点が問題である。この事実は、本件事故車が衝突直前においてもなんら危険回避措置をとらなかったことを強く推認させるものである。第三に、本件事故車が事故直前にブレーキをかけた形跡がない点が問題である。こうした事実からすると、本件事故車は、衝突直前において、何らの危険回避措置をとっていなかったと推認される。そして、これら事情は、本件事故の原因が脇見運転によるものであることを強く疑わせるものである。

(三) 訴外乙川を知る関係者によれば、訴外乙川は普段の運転でもスピードを出す方であり、したがって、本件事故も訴外乙川のスピードの出しすぎが原因ではないか、と推測する者もいる。たしかに、スピードの出しすぎによりハンドル操作が的確に行えなかった可能性もありうる。しかしながら、仮にハンドル操作の誤りがあったとしても、危険が目前に迫っていることを認識しているのであれば、衝突直前での危険回避措置、すなわちハンドルによる回避あるいはブレーキ操作を反射的にするのが自然であると思われるところ、本件では、こうした措置がなされた形跡がない。したがって、本件事故が訴外乙川のハンドル操作の誤りによるものであると推認することはできない。

3  このように本件事故の原因について、それが居眠り運転、脇見運転あるいはハンドル操作の誤りによるものと認めるには、多くの疑問が存在する。したがって、本件事故の原因については、それ以外のもの、すなわち自殺である可能性を否定できない。

三  もっとも、以上の検討からは、訴外乙川に自殺の可能性があるというにすぎないのであって、訴外甲野の自殺の可能性についてはこれとは別に検討しなければならない。

1  訴外甲野の生前における資産及び負債状況

(一) 証拠(甲六、甲一一、乙三八、証人高橋和夫、証人中谷恒行)によれば、以下の事実が認められる。

(二) 訴外甲野は、当初岡崎市内の繊維問屋に勤めていたが、昭和五四年ころ、独立し、A企画の名称で個人事業を開始した。業務内容は、キャラクター商品を下請業者に発注し、これを全国に販売するというものであった。製品の製造部門以外の資金調達、帳簿管理、営業についてはもっぱら訴外甲野が担当していた。A企画の近時の申告所得額は、平成四年度約八六〇万円(売上収入総額約八億四六〇〇万円)、平成五年度約一六〇万円(売上収入総額約六億六六〇〇万円)、平成六年度約一一〇万円(売上収入総額約四億四八〇〇万円)であった。また、訴外甲野死亡時における同人の負債総額は約一一億円であった。なお、訴外甲野は、平成七年三月に、原料の購入資金不足を理由にA企画の女性パート従業員から二三〇〇万円を借り受けた。一年後に利息三〇〇万円を加えて返還する約束であった。右従業員は夫に内緒で金員を工面した。

2  訴外甲野と訴外乙川との関係

(一) 証拠(甲六、甲一一、乙三八)によれば、以下の事実が認められる。

(二) 訴外乙川は、かつて訴外甲野と同じ繊維問屋に勤務したことがあり、両名は古くからの友人関係にあった。訴外乙川は、Bニットの名称で昭和五七年からニットの縫製業を営み、主にA企画の下請業務を行っていた。訴外乙川死亡当時の負債状況は、銀行からの債務約三〇〇〇万円、リース料債務約三五〇〇万円、金融業者からの債務約一〇〇〇万円、個人的債務約二〇〇〇万円であり、更に訴外乙川は訴外甲野に対し融通手形四通(支払期日平成七年一〇月五日、同年一一月五日、同月二五日、同月二五日)額面合計七六〇万九八〇〇円を振り出していた。

3  本件事故直前の訴外甲野の行動

(一) 証拠(甲一一、乙三八、証人高橋和夫、証人嶋田菊次郎、証人中谷恒行)によれば、以下の事実が認められる。

(二) 訴外甲野は、本件事故前に大洋商事株式会社との間で四二〇〇万円の取引をしていた。大洋商事の代表取締役である嶋田菊次郎(以下「嶋田」という)は、かつて訴外甲野とともに岡崎市内の繊維問屋で働き、訴外甲野の部下として仕えたことがあった。そうした経緯もあり、嶋田が独立して大洋商事を設立後、A企画から製品の提供を受けこれを販売していた。平成七年になり、A企画は、資金繰りが悪化したこともあり、それまでの単価よりさらに安い価格で、しかも大量の製品(セーター)の納入を希望してきた。そこで、大洋商事は、大量の仕入れに対する販路を探すことにし、その結果、スーパー長崎屋への納入を決め、A企画に対する四二〇〇万円の前払い手形を振り出した。スーパー長崎屋への製品納入は、平成七年八月末となっていたところ、八月末になっても納入されなかった。このため嶋田はスーパー長崎屋からの照会もあって、納入時期を明確にしなければならない立場上、訴外甲野と連絡をとりあった。訴外甲野と連絡がとれた嶋田は、訴外甲野から、何とか納入を間に合わす、との回答を得た。しかしながら、鳴田はスーパー長崎屋に具体的な日程を報告しなければならなかったことからその後も再三にわたり訴外甲野に連絡をした。嶋田は訴外甲野から、本件事故前々日までに回答するとの連絡を受けていたが、結局、訴外甲野からは連絡がなかった。

(三) また、訴外甲野は、嶋田に対して三〇〇〇万円の融資を依頼していた。嶋田は平成七年九月八日に訴外甲野と電話で連絡をとった際、右三〇〇〇万円の振込先をどこにするかを問い合わせた。すると、訴外甲野は、「嶋ちゃん、もうええよ、手当がついた」と答えた。

(四) 訴外甲野は、平成七年五月ころ、北朝鮮に行き、帰国後から、もぐさに関する商売を新たに展開しようと考えていた。本件事故前、訴外甲野は、訴外乙川と共に、下呂温泉に出向き、もぐさの売り込み活動を行っていたものと思われる。

4  以上から、本件事故前における訴外甲野の行っていた事業は相当程度の不振に陥っており、訴外甲野は本業以外の展開を検討していたこと、訴外甲野の負債総額はA企画の年間売上収入総額の二倍以上にまで達していたこと、訴外甲野は大洋商事との大量商品の納期が遅れていたことで、仲介した嶋田から再三にわたり催告を受けていたこと、本件事故直前、訴外甲野は、嶋田に依頼していた融資の話を断っていたこと、訴外甲野と訴外乙川とは、訴外甲野の事業が不振に陥れば訴外乙川の事業も同じ運命となる余地が強い関係であったことの各事情が認められ、これら事情は、訴外甲野が訴外乙川とともに自殺の意思を有していたことを窺わせる事情である。

他面、本件事故については、訴外乙川が、訴外甲野との合意、同意、受容あるいは黙認等を得ずに訴外甲野の意思を無視して、いわば訴外甲野を巻き添えにした形で自殺に及んだ可能性もありうる。しかしながら、前記事情からすると訴外甲野自身にも自殺の意思があったことが窺えるのであり、本件事故が訴外甲野の意思とは無関係に発生したものであるとまではいえない。

5  もっとも、訴外甲野に自殺の意思があったか否かについて、本件事故当時、訴外甲野は、本件事故車の助手席において、シートを倒した状態で死亡していたことが問題となる。すなわち、事故前において、訴外甲野が助手席のシートを倒した状態で同乗していたとすると、訴外甲野は、車内において仮眠あるいは休息をとっていた可能性があり、このことは訴外甲野には自殺の意思などなかったことの根拠となりうるからである。

まず、本件事故直前の助手席のシートがリクライニング状態にあったかどうかが問題となる。この点、被告らは、本件事故車の助手席シートは本件事故前にはリクライニング状態にはなく、衝突の衝撃で後ろに跳ね返った訴外甲野の体が助手席の背もたれ部分に当たり、そのショックにより背もたれ部分が倒れたものであると主張する。しかしながら、仮に、衝突の際の衝撃によりシートの背もたれ部分が倒れたものであるとすると、それはリクライニング機能が破壊されたことを意味するが、被告大東京火災海上の行った車両衝突実験の結果(乙四八、乙五七)によっても、リクライニング機能は維持されていた。

また、乙一及び乙三八によれば、訴外乙川の死体の状況は、頭蓋骨が割れ、脳が路上に落ちていたのに対して、訴外甲野の死体は、頭部、顔面が三角形に変形していたことが認められる。このように両名の頭部、顔面に関する損傷状況は異なっている。乙四八、乙五七によれば、助手席のシートをリクライニング状態にし、時速一〇〇キロメートルでコンクリート壁に正面衝突させた場合、助手席の乗員はその頭部、顔面を車両の天井部分に打ち付けるという結果となったことが認められる。乙四八によれば、天井にはインシュレータが張られており、また車両の屋根自体も変形による衝撃吸収効果があるため、頭部が天井に衝突した際に受ける衝撃は、頭部がフロントガラスあるいは固定壁に衝突した場合と比較にならないほど小さいことが認められる。このことは、助手席の乗員がリクライニング状態のシートに仰向けになっていた場合、当該車両が本件事故のような正面衝突事故を起こすと、運転者の頭部、顔面に受ける損傷と、助手席の同乗者の頭部、顔面に受ける損傷とでは、助手席の同乗者の受ける損傷の程度の方が、より少なくなることを意味する。そうすると、訴外乙川と訴外甲野の各人の受けた損傷の違いから、訴外甲野はリクライニング状態の助手席において仰向けになっていた可能性が高い。

以上のような事情からすると、シートの背もたれが立っていたとする被告らの主張には採用しがたいものがある。

もっとも、本件事故当時、訴外甲野のシートの背もたれがリクライニング状態にあったからといって、訴外甲野の自殺の意思の存在が全面的に否定されることにはならないというべきである。なぜなら、訴外甲野が事故直前において、助手席シートをリクライニング状態にしていたとしても、そのことによって、訴外甲野が仮眠をとっていたとは直ちに認められないし、逆に、自殺を覚悟した訴外甲野が、事態の展開のすべてを訴外乙川に委ねた結果として、右状態でいたとも考え得るからである。

したがって、助手席のシートの背もたれがリクライニング状態にあったことによって、訴外甲野に自殺の意思があったことが否定されることにはならないと解される。

四 以上によれば、本件事故の原因について、訴外甲野の自殺の意思は否定できず、したがって、本件事故が「急激かつ偶然な外来の事故」であるとの証明はなされていないと言わざるをえない。よって、原告らの被告大東京火災海上に対する保険金請求及び被告東京海上火災に対する保険金請求のいずれも認められない。

五  乙事件について

1  本件事故は、運転者である訴外乙川、同乗者である訴外甲野の自殺の可能性が窺われる事案である。

2  このような場合、訴外甲野が訴外乙川に対して、訴外乙川の不法行為を原因として損害賠償をするについては、訴外甲野が訴外乙川の不法行為を受容した可能性がある以上、過失相殺の制度趣旨である公平の見地から、一定限度の制限がなされるべきである。その割合については、本件事故の内容、自殺であることの立証の程度等を考慮すると、訴外甲野の過失相殺の割合は七割が相当である。

もっとも、過失相殺の対象となる損害は、葬儀費、逸失利益及び訴外甲野本人の死亡慰謝料であり、訴外甲野の遺族である原告らの固有の慰謝料については、過失相殺の対象とはならない。

3  しかしながら、以上の検討によっても原告らの請求は理由がない。なぜなら、仮に原告らが主張する損害額を前提にしても、原告らがすでに自賠責保険から填補されている三〇〇三万七〇七〇万円を上回ることはないからである。すなわち、原告ら主張の損害額は、葬儀費一二〇万円、逸失利益四一八七万二五八九円、慰謝料二七〇〇万円及び弁護士費用であるが、このうち、訴外甲野固有の慰謝料は二〇〇〇万円とするのが相当であるところ、訴外甲野が請求しうる損害額は、一二〇万円と四一八七万二五八九円と二〇〇〇〇万円の合計六三〇七万二五八九円の三割である一八九二万一七七七円(円未満四捨五入)となる。また、原告ら固有の慰謝料は合計で七〇〇万円が相当である。したがって、以上を合計すると二五九二万一七七七円となり、これに弁護士費用を加算したとしても原告らの受けた既払額には達しない。

4  よって、原告らの被告乙川夏子、被告乙山秋子及び被告乙川冬子に対する損害賠償請求は理由がない。

第五  まとめ

一  甲事件

原告らの被告大東京火災海上に対する請求は理由がない。

二  乙事件

原告らの被告乙川夏子、被告乙山秋子及び被告乙川冬子に対する請求はいずれも理由がない。

三  丙事件

原告らの被告東京海上火災に対する請求は理由がない。

(裁判官・堀内満)

別表一 〔被告乙川夏子について〕

1.原告財産管理人に対して

金一一〇〇万八八八〇円

2.原告甲野次郎に対して

金五五〇万四四四〇円

3.同甲田春子に対して

金五五〇万四四四〇円

別表二 〔被告乙山秋子について〕

1.原告財産管理人に対して

金五五〇万四四四〇円

2.原告甲野次郎に対して

金二七五万二二二〇円

3.同甲田春子に対して

金二七五万二二二〇円

別表三 〔被告乙川冬子について〕

1.原告財産管理人に対して

金五五〇万四四四〇円

2.原告甲野次郎に対して

金二七五万二二二〇円

3.同甲田春子に対して

金二七五万二二一九円

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